まえがきでも述べたとおり、われわれソロス・ファンド・マネジメントは、危機の到来を予見できていたし、,それは他の人たちとて同様だった。
しかし、その混乱の度合いには、だれしも驚きを禁じえなかった。
一見無関係ないくつもの潜在的な不均衡要因が目をさまし、その相互作用が均衡とはかけ離れた状況に至るプロセスに火をつけた。
その結果は、それを生み出した諸要素とはおよそ釣り合わない、すさまじいものだった。
金融市場は、経済理論が想定していたものとはまったく違った役割を演じた。
経済理論では、金融市場は振り子のように動くはずで、外部からの衝撃に反応して激しく変動することはあっても、やがては均衡点で静止し、その均衡点は変動の激しさに関係なく、常に同一であるとされている。
ところが、現実の金融市場は私が議会で証言したように、むしろ建物を解体する巨大な鉄球のような動きをして、国から国へと振れ動き、弱い国々を打ちのめしていったのである。
国際金融システムそのものがこうしたメルトダウン(破綻)の過程の主な構成要素だったという結論を回避するのはむずかしい。
他の構成要素は国によってまちまちだったものの、国際金融システムは間違いなくどの国でもこの破綻に積極的な役割を演じた。
このような結論は、金融市場はファンダメンタルズ(経済の基礎的諸条件)を受動的に反映するという、広く浸透している見方とは相反するものである。
私のこの指摘が正しいなら、金融市場が世界のなかで果たす役割は、根本的に見直す必要がある。
金融市場についてのこの見方を検証するため、まずかかわりのあった他の構成要素がなんであったかをくわしく調べ、ついで実際になにが起こったかを検討してみよう。
混乱の最も直接的な原因は、各国通貨間の均衡が失われたことだった。
東南アジア諸国は、非公式的にせよ自国通貨を米ドルに連動させていた。
このドル・ペッグ制の見かけ上の安定は現地の銀行や企業をドル建ての借り入れに走らせ、そのドルをヘッジをかけないまま自国通貨に交換させるよう仕向けていた。
ついで銀行は、こうして調達した資金を、不動産を中心とする国内のプロジェクトへの貸し付けや、投資に当てていた。
非公式のペッグ制が維持されているかぎり、これはリスクのない金儲けの方法にみえた。
しかし、ひとつには一九九六年に人民元が弱含みになったことと、もうひとつには米ドルの対円相場が上昇したことから、ペッグ制がきしみはじめ、関係各国の貿易収支は悪化した。
もっとも当初は、資本収支では多額の資本流入が続いていたため、貿易赤字はそれで相殺されていた。
とはいえ、一九九七年の初めになると、貿易収支と資本収支の不均衡がほぼ限界に来ていることは、ソロス・ファンド・マネジメントのわれわれの目には明らかだった。
そこでわれわれは、同年初めに、期限六カ月から一年の間の先物でタイ・バーツとマレーシア・リンギを空売りした(注)。
後にマレーシアのマハティール首相は、危機を起こした張本人だと私を非難したが、この非難はまったくの事実無根であった。
われわれは、危機の最中はむろん、それに先立つ数カ月間にも、バーツやリンギを売ったことはない。
それどころか、これらの通貨が下落しはじめたとき、われわれは買い手だった。
それ以前の投機の利益を実現するため、リンギを買っていたのである(この買いは結果的には早すぎた)・一九九七年一月の時点で、維持不可能な状況であることがわれわれの目に明らかだったとすれば、他の人たちの目にも明らかだったに違いない。
ところが、実際に危機が勃発したのは、タイ当局がペッグ制を放棄して変動相場制に移行した一九九七年七月だった。
危機の到来がわれわれの予測より遅かったのは、タイの通貨当局があまりにも長期にわたって自国通貨を買い支え、国際銀行機が、災いの兆しに気づいていたにもかかわらず、信用を供与し続けたためだ。
この遅れが危機を雛いっそう深刻なものにしたことは間違いない。
タイを震源とする危機は、またたく間にマレーシシァ、フィリピン、韓国、その他の国々へと波及した。
しかし、ここで、検討すべき重要な問題が出てくる。
アジア危機に呑み込まれた国のなかには、ハーグ非公式のドル・ペッグ制を採って「いなかった」国もあったということだ。
たしかに韓国ウォンは過大評価されていたが、日本や中国の通貨は違った。
それどころか、中国のもつ競争優位や大幅な円安ドル高は、危機をあおる要因になった。
では、危機に見舞われた経済には、いったいどんな共アジア型モデルの終罵アジア経済にはいくつもの構造的弱点があった。
大半のビジネスが同族経営で、オーナー一族は、儒教の伝統にしたがって経営権を保持しておきたいと考えていた。
株式を公開したとしても、少数株主の権利はないがしろにするきらいがあった。
会社を成長させる資金を収益でまかなえない場合は、経営権を失うリスクより融資に頼る道を選んでいた。
また、政府の役人は、銀行の融資を産業政策の手段として利用し、そればかりか、自分の親族や友人に便宜をはかるためにも、銀行融資を利用した。
企業と政府は癒着しており、これはそのほんのひとつの現れにすぎなかった。
こう通点があったのか。
その問題点とは、今でこそ軽蔑を込めて「クローニー・キャピタリズム(縁故資本主義)」と呼ばれているが、かっては儒教資本主義、あるいはアジア型モデルとして褒めそやされた、ゆがんだ、あるいは未熟な資本主義体制にこぞって依存していたことにある、と指摘する向きがある。
以下の大まかなスケッチで説明するように、この主張にはなにほどかの真実が含まれている。
しかし、この危機がラテンアメリカや東ョーロッパに波及し、いまや西ョーロッパやアメリカの金融市場や経済にも影響をおよぼし始めているなかで、危機の原因はアジアの特性にあったとするだけでは、事態の全容を説明しきれないのは明らかだ。
そこで、アジアにおける事態の進展について簡単に論じたのち、私の主張の主眼点グローバル危機はグローバル金融システム自体に内在する病理によって引き起こされるに立ち戻ることにする。
した要因があいまって、自己資本比率がきわめて低く、金融部門が透明性と健全さを欠いているという特質が生まれていた。
「銀行融資」は借り手を監督するので株主のわがままを封じるという考えは、まったく通用しなかった(注2)。
たとえば、韓国経済は同族経営の財閥(コングロマリット)によって支配されており、財閥の自己資本に対する負債比率はきわめて高かった。
一九九六年の上位三○財閥(間接的な支配も含めると、韓国の工業生産のおよそ三五%を占める)の自己資本に対する負債比率は平均三八八%で、なかには六○○,七○○%という財閥もあった。
一九九八年三月末には、平均も五九一%に上昇していた。
オーナーが、自らの経営権を利用してグループ内の他企業の債務を相互保証していたため、少数株主の権利は侵害されていた。
さらに悪いことに、韓国企業の利益率はきわめて低かった。
上位三○財閥のインタレスト・カバレッジ(金利負担率)は一九九六年には一・一だったが、一九九七年にはわずか○・九四に低下していた。
つまり、支払利息を利益でまかないきれなかったことになる。
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